翻訳と辞書
Words near each other
・ ディオーネ
・ ディオーネー
・ ディオール
・ ディオール・オム
・ ディカフェ
・ ディカプリオ
・ ディカリア
・ ディカリア亜界
・ ディカーソン (駆逐艦)
・ ディカーブ郡 (アラバマ州)
ディカーブ郡 (ジョージア州)
・ ディカーブ郡 (テネシー州)
・ ディカープリ
・ ディガオ
・ ディガグリールモ症候群
・ ディガルド武国
・ ディガルーグ
・ ディガンの魔石
・ ディガンバラ派
・ ディガンマ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ディカーブ郡 (ジョージア州) : ミニ英和和英辞書
ディカーブ郡 (ジョージア州)[でぃかーぶぐん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

カー : [かー]
 【名詞】 1. car 2. (n) car
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [ぐん]
 【名詞】 1. country 2. district 
: [す, しゅう]
 (n) sandbank

ディカーブ郡 (ジョージア州) : ウィキペディア日本語版
ディカーブ郡 (ジョージア州)[でぃかーぶぐん]

ディカーブ郡(、 、発音からはディーカブ郡とも呼べる)は、アメリカ合衆国ジョージア州の中央部北西に位置するである。2010年国勢調査での人口は691,893人であり、2000年の665,865人から3.9%増加した〔Quickfacts.census.gov - DeKalb County - accessed 2011-12-06.〕。郡庁所在地ディケーター市(人口19,355人〔Quickfacts.census.gov - Decatur, Georgia - accessed 2011-12-06.〕)であり、同郡で人口最大の都市はアトランタ市(人口420,003人〔Quickfacts.census.gov - Atlanta, Georgia - accessed 2011-12-06.〕)である。ただしアトランタ市域の約90%は西隣のフルトン郡内にある。
ディカーブ郡はアトランタ大都市圏(正確にはアトランタ・サンディスプリングスマリエッタ大都市統計地域)に属しており、その中核となる5郡の1つである。アトランタ大都市圏とジョージア州共に人口で第3位の郡である(1位はフルトン郡、2位はグイネット郡)。2010年の国勢調査までは第2位だった。州内でも最も民族構成が多様な郡である。郡域の大半は郊外部であり、アフリカ系アメリカ人が人口の過半数を占める郡としては、ワシントンD.C.郊外のメリーランド州プリンスジョージズ郡に次いで、国内でも2番目に裕福な郡である。しかし、プリンスジョージズ郡とは異なり、ディカーブ郡のアフリカ系アメリカ人が人口の過半数を占める町は郡全体の収入中央値より低い傾向があり、白人多数の町は収入中央値より高い傾向がある。

2009年、ディカーブ郡はエネルギー、水、燃料の節減、再生可能エネルギーに対する投資、ゴミの削減、天然資源の保護と再生への努力について、アトランタ地域委員会の「グリーン・コミュニティ」指定を受けた。
近年、アトランタ大都市圏郊外部の動向に従い、郡北部の町幾つかが法人化された。ダンウッディ市(2008年法人化)とブルックヘイブン市(2012年法人化)が郡内に入っている都市として大型都市になった。
== 歴史 ==
ディカーブ郡は1822年に、ヘンリー郡グイネット郡ファイエット郡のそれぞれ一部を合わせて設立された。郡名はアメリカ独立戦争大陸軍のために戦ったドイツ軍人ヨハン・デ・カーブ男爵に因んで名付けられた。郡内に残っている最古の家屋は、ブルックヘイブンのピーチツリー道路沿いにあるグッドウィン家屋であり、1831年の建設である。
1853年、ディカーブ郡の西半分からフルトン郡が作られ、その中央(現在のモアランド・アベニュー)を通る真っ直ぐな南北方向の線で分割された。その時まで成長しつつあったアトランタ市はディカーブ郡の中にあった。1830年代にディケーター市が鉄道の終着駅になることを望まず、ディカーブ郡西部のスラッシャービル宿営地の駅が終着駅となり、それがマーサスビルとなり、さらにその設立から数年後にアトランタになったので、アトランタ市が成長した。1932年、フルトン郡の北はミルトン郡、南東はキャンベル郡を吸収して大きくなった。ディカーブ郡はかつてチャタフーチー川より北まで広がっていたが、ここがミルトン郡に渡され、現在はサンディスプリングス市のパンハンドル部になっている。
南北戦争のとき、アトランタの戦いの大半はディカーブ郡で戦われた。
1960年代まで、ディカーブ郡は主に農業の郡だったが、アトランタ大都市圏のスプロール現象が広がり、次第に都市化されていった。1969年に完工した「ペリミーター」と呼ばれる州間高速道路285号環状路の東半分によって、郡の北東と南の端が囲まれ、アトランタ市のほぼ全域と共にペリミーターの中に入った。州間高速道路675号線とジョージア州道400号線は当初ペリミーターの中を接続するように計画され、またストーンマウンテン・フリーウェイ(アメリカ国道78号線)がモアランド・アベニュー近くでダウンタン・コネクターと接続するように計画された。これが郡西部の多くの地区を潰すことになっていたが、1970年代初期のコミュニティの反対によって、この都市化の運命を免れた。ただし、提案されていたストーンマウンテン有料道路は後にフリーダム・パークウェイとなった。州間高速道路20号線と同85号線のみが郡内を通って完成された。1970年代にアトランタ・マルタの高速鉄道を受け入れた2郡の1つになった。現在は東行きと北東行きの路線がある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ディカーブ郡 (ジョージア州)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.